大阪で営業として辣腕をふるっていた。8年前、東京へ異動となり、乾はすぐさま東武鉄道新信号プロジェクトの担当となった。「まず、どのような方式を採用するのか。クライアントからヒヤリングして、要望を聞き取り、提案を行いました」。しかし、このプロジェクトは総額数百億円にものぼるビジネスであり、まったく新しいシステムへ移行しようというものだ。そう簡単な道のりではない。「何度も何度も会議を重ねて、もちろん予算を含め協議を繰り返しました」。顧客の求めるものに最良の答えを用意する。何度NGが出ても、乾の姿勢だけは一貫していた。顧客の会議室で捗らない時は、退社後に席を変え、会議の続きを行ったりもした。そして、最終的に“このシステムで行く”という結論へ至るまでには、じつに2年もの歳月を要したのだった。
乾の営業のスタンスは、顧客のニーズを実現すること、その一点に尽きる。この大プロジェクトでは、関係する顧客の部門も数多く、様々なタイプの人物がいた。当然、意見の相違も生まれる。日本信号の社内ばかりではなく、顧客内の調整も乾の重要な責務となった。いかに相手の懐に入り、本音を引き出すか。価格交渉の厳しい大阪という土地で培った営業ノウハウを発揮した。それは信頼関係を構築すること、乾自身が本音でぶつかることだった。乾は、プロジェクトのメンバーたちにも同じ姿勢で向き合った。各部署の連携を重視した結果、通常とは比較にならない次元のスピード感でプロジェクトを進行することができた。「メンバーたちの団結力があったからこそ、成し遂げることができたプロジェクトです」。乾は胸を張った。
稲垣がシステムエンジニアとして活動していた2007年、東武鉄道新信号プロジェクトが発足した。彼は当初、システム構築と実務設計の推進を担当。2012年にプロジェクトリーダーとなり、全体の管理を担うようになった。「このプロジェクトは日本信号としても未知の領域が多々あり、何度も大きな壁にぶちあたりました」。ATCは地上と車上に装置を備え、その信号の交信で機能する。従来、車両メーカーが担当してきた車上装置を含めシステム一式を日本信号が受注した。「私たちには豊富な知識も経験もありませんでした。しかも案件の規模の大きさから多種多様なメンバーが関係し、その立場で利害関係も異なっていました」。そこで、日本信号のOBや専門家を招集。まさに日本信号の英知を結集したプロジェクトとなったのである。
メンバー間の徹底的な意識の共有。このプロジェクトから、稲垣が得た教訓だ。「クライアントの窓口は複数の部署にまたがり、一方、相互乗り入れによる鉄道事業者とも連携を図る必要がありました。さらに工事業者も多種多彩です」。プロジェクトに関わる人々は膨大な数にのぼり、意思の疎通は極めて困難だ。こうした状況をいかに克服するか。稲垣は情報共有の一元管理に取り組んだ。「メンバーのベクトルを合わせたい」という稲垣の信念だった。会議は大小合わせじつに5千回を超えた。その主要部分を抜粋した議事録一覧を作成し、Q&Aや経緯一覧も整備、都度、関係者に配布した。「このプロジェクトで日本信号に蓄積されたノウハウは非常に大きいものがあった。今後、他のプロジェクトにも展開していけるという自負もあります」。そして、自分自身を顧みて、「どんな業務もこなしていける自信がつきました」と笑顔を見せた。
久喜事業所で生産管理を担当している田原は、営業、設計、品質保証など各部門との調整に多忙な日々を送っている。「主な製品にATC装置があり、全国各地の鉄道事業者の要望に応えることが大きな使命です」。生産管理は、工程の立案、日程調整、部品調達など、幅広い役割を担い、製作から納品まで携わる。例えばATC装置の部品は数千種類にも及び、その仕様も鉄道事業者によって異なるため、部品調達だけでも簡単ではない。「いわば、現場をまとめていく仕事でしょうか。そういう意味ではコミュニケーションがとても重要だと考えています」。当初描いた工程通りには進まないこともある。即座に日程を調整し、各部署と交渉する。「私が指示を出さなければ動かない。責任も大きいのですが、やりがいも非常に大きいと感じています」。
東武鉄道新信号プロジェクトでも、田原はコミュニケーションを重視した。多くの先輩たちが出席する社内会議でも、年次など気にせず意見を述べた。それが意識の共有につながると確信していたからだ。「巨大なプロジェクトですから、必ず困難な課題が出てくると覚悟していました」。案の定、現地への納品が予定より遅れ、しかも新たな修正作業も発生したことがあった。休日に人を集めるか、ほかの案件を止めるか。田原は決断を迫られた。そんな時、工場に無理を承知で相談し、何とか間に合わせることができた。「熱意が通じたのだと思います」。“お前が言うからやるんだ”という言葉を聞いたとき、彼は震えるほどうれしかった。「このプロジェクトを通じて、各部署が一致団結して取り組めたことが、何よりも素晴らしい経験でした」。各部署の担当者との絆を深められたことにプロジェクトの意義があった。彼はそう語るのだった。
中川は、入社以来品質保証部に所属している。部署の主な役割は製品の検査や現地への機器の設置、納入後の不具合対応だ。その中で、彼はATCの地上装置の検査業務をメインとして、活動している。「常に製品の安全性と信頼性の確保に努めています」という中川は、新人の時、仙台地下鉄の装置更新工事を先輩とともに担当した。ちょうどその時、東日本大震災が発生したのである。「幸いATCにダメージはなかったのですが、インフラの大切さを痛感しました」。その経験から、安全性と信頼性にはより万全を期すようになった。そして、主任として品質保証の業務に打ち込んでいた頃、東武鉄道新信号プロジェクトから声がかかった。「機器の数、工事期間など、これまでに経験したことのない規模のプロジェクトで、社会的にも影響力の大きいインフラ整備に携われる喜びがありました」。
製品となっている完成品の物理的な検査、装置間の性能検査といった過程を通じて、問題点を洗い出し、協力会社のサポートを得ながら完成度の向上に取り組んだ。「電圧や周波数をはじめ、この部品を取ったらどうなるのか、この線を切ったらどうなるのか、あらゆる角度から検査します」。その結果を評価基準と照らし合わせて、判断を行うのである。深夜の現地検査で、信号の遮断に不備があることが判明した。どこに問題があるのか。彼ら現地検査員は動作確認を繰り返し、事象の詳細を記録。そして設計担当者と協議して修正を行った。こうしたことの繰り返しだった。さらに彼は検査の効率化のための「自動試験器」も自らの手で作成している。「このプロジェクトでは、ともに携わった先輩の力が大きかった。しかし、いつか自分一人でやり遂げたいと新たな意欲が湧いてきました」。これまでにないものを作ることに、魅力を感じたと彼は話す。これからも新規案件で声がかかるように、日々の課題に精一杯取り組みたいと目を輝かせた。
自身の指示によって、社内の何百人というメンバーを動かすことがある。彼はそのことを常に肝に銘じ、顧客の要求事項を的確に判断し、迅速に処理することを心がけている。そしてどんな案件でも「日本信号に任せてよかった」「これからも日本信号とともに仕事がしたい」と、顧客に実感してもらうことを目指しているのだという。彼が今、取り組もうとしてるのは、自身が東武鉄道新信号プロジェクトで培った知識や経験を、いかに若い世代に受け継いでいくかという課題だ。さらに、日本信号が単なる製造メーカーではなく、ソリューションを提供できる企業として、グローバルに広く認知されるよう、その先導役になりたいと熱く語る。
大学では、電気電子工学科で学んだ。就職活動の中で日本信号の事業を見学し、ものづくりをする醍醐味を味わいたいと稲垣は考えたのだった。入社後はおよそ10年間、鉄道信号機器の設計に携わった。そして、製品企画のセクションに異動し、市場調査や開発を経験。その後、現在のシステムエンジニアとしての役割を担うようになった。一つでも多く、自分が関わった製品やシステムを後世に残したいと、彼は言う。日本信号は、ものづくりのメーカーからコンサル業務などを行う総合メーカーへ変貌するプロセスにある。今後、市場調査から計画、設計、製作、工事まで、あらゆることに関わるチャンスが増えていく。日本信号の成長が、自身の思いを具現化することにつながると意気盛んだ。
田原は、社会貢献につながる仕事がしたいと日本信号に入社した。資材部を経て、生産管理部に異動になったのが2年前。すぐに東武鉄道新信号プロジェクトのメンバーに召集されたのである。新人の時、ある先輩から「次工程はお客様」という言葉を教えられた。次の工程に関わる人の仕事がスムーズになるよう常に心がけなさいという教えだ。彼は今もそれを心に刻み、仕事に取り組んでいる。そんな田原には、将来へのキャリアプランがある。事業所という現場で培った人脈や知識を活かして、営業として活躍することだ。自分自身が携わった案件が、社会貢献に役立っているという実感、それが次のモチベーションにつながると考えているのだ。
小学校の頃からビデオデッキを分解するなど、機械が好きだった。大学在学中から日本信号の存在は知っていて、日常生活で利用する製品を作ることに魅力を感じ入社を決意。東武鉄道新信号プロジェクトを通じて、彼には、大きな収穫となるものがあった。それは、社内の各部署の役割と動き、課題までも知ることができたこと。日常の検査業務だけでは見えてこないものが見えてきたのだ。さらに、大勢のメンバーが一つの目標に向かって取り組むことを経験し、仕事には協力が不可欠だということも実感できた。鉄道のシステムはATCだけではない。電気電子だけではなく、物理的な分野の仕組みについても知りたい、理解したいと彼は言う。自身の仕事の幅を広げようと考えているからだ。