自身の指示によって、社内の何百人というメンバーを動かすことがある。彼はそのことを常に肝に銘じ、顧客の要求事項を的確に判断し、迅速に処理することを心がけている。そしてどんな案件でも「日本信号に任せてよかった」「これからも日本信号とともに仕事がしたい」と、顧客に実感してもらうことを目指しているのだという。彼が今、取り組もうとしてるのは、自身が東武鉄道新信号プロジェクトで培った知識や経験を、いかに若い世代に受け継いでいくかという課題だ。さらに、日本信号が単なる製造メーカーではなく、ソリューションを提供できる企業として、グローバルに広く認知されるよう、その先導役になりたいと熱く語る。
大学では、電気電子工学科で学んだ。就職活動の中で日本信号の事業を見学し、ものづくりをする醍醐味を味わいたいと稲垣は考えたのだった。入社後はおよそ10年間、鉄道信号機器の設計に携わった。そして、製品企画のセクションに異動し、市場調査や開発を経験。その後、現在のシステムエンジニアとしての役割を担うようになった。一つでも多く、自分が関わった製品やシステムを後世に残したいと、彼は言う。日本信号は、ものづくりのメーカーからコンサル業務などを行う総合メーカーへ変貌するプロセスにある。今後、市場調査から計画、設計、製作、工事まで、あらゆることに関わるチャンスが増えていく。日本信号の成長が、自身の思いを具現化することにつながると意気盛んだ。
田原は、社会貢献につながる仕事がしたいと日本信号に入社した。資材部を経て、生産管理部に異動になったのが2年前。すぐに東武鉄道新信号プロジェクトのメンバーに召集されたのである。新人の時、ある先輩から「次工程はお客様」という言葉を教えられた。次の工程に関わる人の仕事がスムーズになるよう常に心がけなさいという教えだ。彼は今もそれを心に刻み、仕事に取り組んでいる。そんな田原には、将来へのキャリアプランがある。事業所という現場で培った人脈や知識を活かして、営業として活躍することだ。自分自身が携わった案件が、社会貢献に役立っているという実感、それが次のモチベーションにつながると考えているのだ。
小学校の頃からビデオデッキを分解するなど、機械が好きだった。大学在学中から日本信号の存在は知っていて、日常生活で利用する製品を作ることに魅力を感じ入社を決意。東武鉄道新信号プロジェクトを通じて、彼には、大きな収穫となるものがあった。それは、社内の各部署の役割と動き、課題までも知ることができたこと。日常の検査業務だけでは見えてこないものが見えてきたのだ。さらに、大勢のメンバーが一つの目標に向かって取り組むことを経験し、仕事には協力が不可欠だということも実感できた。鉄道のシステムはATCだけではない。電気電子だけではなく、物理的な分野の仕組みについても知りたい、理解したいと彼は言う。自身の仕事の幅を広げようと考えているからだ。